いのちの方角に向けて礼拝の場所を整えること

学校でも企業でもオリエンテーションという言葉をよく用いる。しかし、これがキリスト教会の専門用語であったことを知るひとは、どれだけいるであろうか。太陽が昇ることを意味し、やがて東を意味するようになったラテン語「オリエンス」に由来する。古来、教会堂をいつも東に向けて建ててきた。東から太陽が昇り、正面の窓、のちにステンドグラスの鮮やかな色彩を輝かせながら光を射し込ませるのを仰ぎながら、そのように主イエス・キリストが死の闇から甦り、いのちの輝きをもたらしてくださったことを、こころから賛美したのである。・・・このように、いのちの方角に向けて礼拝の場所を整えることをオリエンテーションと呼んだのである。実際の礼拝堂が東を向いていなくても、礼拝する者たちの全存在が、このいのちに向かう。どんな逆境にあっても! それが私たちの礼拝である。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、120頁

2020年4月21日(火)

「彼はわたしを主の神殿の中庭に連れて行った。すると、主の聖所の入り口で、廊と祭壇の間に、二十五人ほどの人がいて、主の聖所を背にし、顔を東に向けていた。彼らは東に向かって太陽を拝んでいるではないか。彼はわたしに言った。『人の子よ、見たか。ユダの家がここで数々の忌まわしいことを行っているのは些細なことであろうか。彼らはこの地を不法で満たした。また、わたしの鼻に木の枝を突きつけて、わたしを更に怒らせようとしている。わたしも憤って行い、慈しみの目を注ぐことも、憐れみをかけることもしない。彼らがわたしの耳に向かって大声をあげても、わたしは彼らに聞きはしない。』」(エゼキエル8・16-18)

「東に向かって太陽を拝む」という偶像礼拝を厳しく糾弾する言葉がエゼキエル書にありますから、キリスト教会は決して太陽を拝んできたわけではありません。しかし義の太陽であるイエスさまを礼拝するキリスト教会が、東に向かって礼拝することは自然なことだったのだと思います。心からの礼拝をささげたいとという思いがいろいろな形となって表われることと、偶像礼拝との違い。この微妙な違いは、なかなか言葉に表すことができません。違いの分かるコーヒー通みたいなところと似ているかもしれません。

さて「オリエンス」というラテン語はもともと『太陽が昇ること」を意味し、やがて「東」という言葉になり、それがオリエンテーションという言葉になったということで、オリエンテーションには「いのちの方角に向けて礼拝の場所を整えること」という意味があるということです。なにか方向づけみたいな意味でしか理解していなかったのですが、なるほどと思わされました。オリエントやオリジンといった言葉もみな繋がっていくような気がします。

「いのちの方角に向けて礼拝の場所を整える」。礼拝とは何よりも、自分自身の身体の向きが大切であるということです。姿勢と言ってもいいかもしれません。きょうもふさぎがちな姿勢を、主に向かう姿勢に正していただいて出発したいと思います。

「主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。」(創世記2・8)

「主が彼らをも、あなたたちと同じように安らかに住まわせ、あなたたちの神、主が与えられる土地を、彼らも得られるようにしなさい。あなたたちはその後、主の僕モーセがあなたたちの領地としたヨルダン川の東、すなわち太陽の昇る側の土地に帰り、それを得なさい。」」(ヨシュア1・15)

「ケルビムは翼を広げ、傍らの車輪と共に出て行くとき、わたしの目の前で地から上って行き、主の神殿の東の門の入り口で止まった。イスラエルの神の栄光は高くその上にあった。」(エゼキエル10・19)

「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」(マタイ2・9-10)