弟子たちは、主イエスが死なれたので絶望したのではない。甦られたというので途方に暮れたのである。・・・メシアが死を突き抜けて「栄光に入る」ということが聖書に明確に告げられているのに、それよりも死の方が確かであるとの思いがこころを鈍くさせているのである。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、121頁
2020年4月22日(水)
弟子たちはイエスさまが十字架上で死なれたということで絶望したのだと思います。しかしそれ以上に、復活された、墓がからっぽであったということが、また彼らを途方に暮れさせたのだといいます。死は絶望させるほどに確かなものであったのに、その死が揺らいでいるのです。その困惑が彼らを更なる絶望に落とし込んでいるのです。しかしその困惑のなかにある彼らに、主イエスさまは近づき、ともに歩み、問いかけてくださり語ってくださいました。途方に暮れたことも、また希望に結びついたのです。
「仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。』そこで、イエスは言われた。』ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、」(ルカ24・24-25)