光に対する影の言葉を語る預言

旧約聖書は主イエス・キリストの来臨を指し示す預言の書物である。しかし、それはしばしば、光に対する影の言葉を語る預言である。重い病で死が迫っているところで、この叫びをあげている者が見ている死の現実はまことに暗い。・・・だが、私たちは、この闇のなかに、み言葉が響いたことを知っている。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、119頁

2020年4月20日(月)

キリスト教会は旧約聖書を読みます。しかしそれは新約聖書を通して読んでいます。旧約聖書を直接的には読んでいません。直接的に読んでしまうならば、ちょっと間違ってしまうことになるでしょう。おおよそ旧約聖書を直接的に読むことで成り立っている宗教はありません。ユダヤ教もイスラム教も旧約聖書を読みますが、ユダヤ教ならばタルムード、イスラム教ならばコーランを通して読んでいるでしょう。キリスト教は新約聖書を通して旧約聖書を学ぶのです。あるいは旧約聖書の言葉を新約聖書によって再解釈するということかもしれません。

ですから旧約聖書に死の絶望が書かれているからと言って、復活を否定する必要はないのです。旧約聖書によって死の絶望の暗闇の深さを知れば知るほど、イエスさまの復活の輝きが増すのです。私たちは旧約聖書のどこであっても、新約聖書において明らかにされているイエスさまの十字架と復活によって読んでいくのです。

「あなたが死者に対して驚くべき御業をなさったり/死霊が起き上がって/あなたに/感謝したりすることがあるでしょうか。セラ/墓の中であなたの慈しみが/滅びの国であなたのまことが/語られたりするでしょうか。/闇の中で驚くべき御業が/忘却の地で恵みの御業が/告げ知らされたりするでしょうか。」(詩編88・11-13)