ルターは、このとき、キリストがどのような装いをしておられたかと問うている。・・・群衆の注目を浴びながら都に入られる。誰であろうが、この<晴れがましい>場面での装いをどうするかを考える。主イエスは、もちろん晴れ着を用意されなかった。ただゼカリヤ書第9章9節に預言されている通りに、ご自身で準備したろばに乗っておられた。これは柔和を示す。柔和とは他者を生かす力である。そしてルターは言う。「そこには罪は全く無く、義の装いのみがある」。他者、私たちを生かす神の義である。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、107頁
2020年4月8日(水)
柔和とは柔らかいという意味です。柔らかいということは、他者を傷つけないということです。私たちが他者を傷つけるとき、柔らかさを失う時とはいったいどのようなときでしょうか。
イエスさまはまことに柔和なお方でした。その柔和さによって私たちは新しく生きる道をいただきました。
「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。」(ゼカリヤ9・9)
「それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『シオンの娘に告げよ。「見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、/柔和な方で、ろばに乗り、/荷を負うろばの子、子ろばに乗って。」』弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。」(マタイ21・4-7)