私はひとりで悲しみの家を訪ねるのではない

たまたま赴かれたナインの町から墓地に向かって出てきた葬列に出会われた。ひとり息子の遺体に付き添う母親をごらんになり、憐れに思われた。これは主イエスのからだが痛むほどの同情に突き動かされたということである。そして「もう泣くな」と言われた。そして、息子を甦らせ、母親に「お返しになった」。そのような奇跡を起こしに私が遺族を訪ねるわけではない。しかし、今私はひとりで悲しみの家を訪ねるのではない。主イエスと一緒なのだ。その信仰だけが私を慰めた。死と向い合せたのである。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、74頁

2020年3月7日(土)

イエスさまは涙を流してはいけないと言われたのではありません。涙を流すことは大切なことです。イエスさまはひとり息子を失った悲しみにしずむ母親のその悲しみに心を寄せられたのです。キリスト教信仰は、この死の悲しみの深さを知る存在、まことの神でありまことの人となってくださったお方、イエスさまに信頼してい生きることです。ですから安心して生きることができます。ときに安心して涙することもできるのです。

「主はこの母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた。」(ルカ7・13)