「深い安堵」、それはまことに確かな、深いものであった。私たちのなかに根を持たない深さである。キリストに献げた教会堂に響き続けるのは、この主の言葉である。教会堂はいのちの会堂である。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、73頁
2020年3月6日(金)
信仰に生きるということは、この「深い安堵」に生かされるということです。そしてこの深い安堵は、自分の中に根を持たない深さであるというのです。
自分の中に根を持たないということは、自分の力や知恵、経験によって積み上げたものに根拠を持たない、ということでしょう。この安堵が深い安堵であり続けるのは、それが自分の「外から」やって来るものであり続けることによるのです。
教会堂は、そのことを私たちにより深く教えてくれるものなのだと思います。
「イエスは言われた。『わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。』」(ヨハネ11・25-26)