唯一の神の言葉

「聖書においてわれわれに証しされているイエス・キリストは、われわれが聞くべき、また生きているときにも、死ぬときにも、信頼し、服従すべき、唯一の神の言葉である」。ナチと戦ったドイツ告白教会の神学的基礎を作った、いわゆるバルメン神学宣言は、これを第一条とした。・・・これには次の文章が添えられる。「教会が、この唯一の神の言葉以外に、またそれと並んで、別の出来事、さまざまな力、人物、諸真理をも神の啓示として承認し、宣教の源泉とすることができるし、そうしなければならないと教える過(あやま)った教えを、われわれは却(しりぞ)ける」。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、68頁

2020年3月1日(日)

聖書の語る偶像礼拝とは「神の言葉以外に、またそれと並んで、別の出来事、さまざまな力、人物、諸真理をも神の啓示として承認し、宣教の源泉とすることができるし、そうしなければならないと教える過(あやま)った教え」のことです。いわゆる異教の神々を否定すること、さまざまな非キリスト教的な民族の中にある風習や文化を否定することとは、根本的に違うことのようです。キリスト教的な生活のなかにも上記のような生き方をしてしまっていることがあるかもしれません。

「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。・・・わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。」(ヨハネ10・1-9)

「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネ14・6)