主の晩餐の食卓のところに置いてくること

怒りと悲しみを込めて敵に投げつけたい思いを、主の晩餐の食卓のところに置いてくることを求めた。・・・流血なしの革命がこうして進められたのである。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、30頁

2020年1月25日(土)

なぜ敵を愛さなければならないのかというと、神さまがそのようなお方だからであると聖書は語ります。キリスト者は神さまがお望みになるように生きることが、自らの幸せであると信じているので、敵を愛すること、自分を迫害する者のために祈るのです。

赦すということは、自分を解放することです。

「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」(マタイ5・44-45)