見たこともない神が既に共にあったのである

説教を全身で浴びるように聞いて、その帰り道は、もう自分たちだけのものではなかった。主イエスと共に帰る思いがあった。洗礼を受けたいという願いは、その時既に与えられていたと言う。まだ聞いたことも、見たこともない神が既に共にあったのである。それは主イエスが神を紹介してくださったからである。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、20頁

2020年1月15日(水)

神さまは私たちのすべてに先だって救いの道を導いてきてくださいました。いまも、これからもそうです。神さまを信じたということは、私たちが神さまを捕えたというのではなく、神さまが私たちを捕えておられるということに気づいたということです。

「また、わたしをお遣わしになった父が、わたしについて証しをしてくださる。あなたたちは、まだ父のお声を聞いたこともなければ、お姿を見たこともない。」(ヨハネ5・37)

「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。・・・わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。・・・わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないということです。」(第一ヨハネ1・1-5)