パウロは、アブラハムの信仰を回顧して、こう書いている。「彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ・・・」(ローマの信徒への手紙第四章一八節)。信仰は、なお望みに生きているか、という一点で常に問われている。試練を受けている。そして、その望みを支えるのは、神の約束以外の何ものでもない。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、19頁
2020年1月14日(火)
希望に生きるためには、その希望の根拠を求めたいと思います。しかし根拠があっての希望というものは、その根拠がなくなると同時になくなってしまうものでしょう。信仰というのは、神さまの約束という根拠だけに御頼りするということです。
これに対して律法というのは、神さま以外のものに根拠をもつ生き方ということができるかもしれません。ことに自分の行動を根拠に希望を持つということに終始することになり、そこには結局のところ裁きと自己嫌悪と絶望しかないような気がします。
「彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、『あなたの子孫はこのようになる』と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。」(ローマ4・18)