逃げようにも逃げられない主の愛

祝福の基礎

逃げようにも逃げられない主の愛のなかで祝福と平安を知る。そこに根ざして、父の愛と、聖霊の交わりもまた確かな祝福となる。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、9頁

2020年1月4日(土)

祝祷は、礼拝の最後に来ることが多いのですが、この加藤常昭の本によると、礼拝の最初に告げる伝統もあるそうです。

世俗という意味は、この世的ということで理解されることも多いと思いますが、それよりも人間中心ということのほうがピンときます。神さまの祝福も人間が求めることによって与えられ、人間が求めないと与えられない、という人間のありようが最初に来る信仰、それが世俗的な信仰なのだと思います。それに対して、聖書の語る神さまの愛は、祝福しようとして私たちを追いかけてくるのです。たとえ私たちがそれから逃げようとしても追いかけてくる、それが聖書の語る神さまなのです。

ですから礼拝をささげた者にご褒美として神さまの祝福が告げられるというのではなく、まっさきに神さまの祝福が告げられる、ただ礼拝にやって来た者に、何もしていない者に神さまの祝福が告げられる、それは大切なことのような気がします。

「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。」(第2コリント13・13)