キリスト教は個々の人間を集団の一員とか、リストのなかの一項目としてではなく、一つの体の異なった器官と考えます。
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他人もまた同じ有機体に属するということを忘れるなら、あなたは個人主義者になってしまいます。他人が自分とは異なった器官なのだということを忘れて、相違を度外視してすべての人を同じ型にはめようとするなら、あなたは全体主義者になってしまうでしょう。クリスチャンは全体主義者にも個人主義者にもなってはならないのです。
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悪魔は誤った観念をつねに一対にして、すなわち相対立するものを抱き合わせにして、この世に送りこみます。・・・悪魔は、一方の誤りをあなたがひどく嫌っているということにつけこんで、あなたを誘ってもう一方の誤謬のうちに徐々に引きこもうとするのです。しかし騙されてはいけません。私たちは目をしっかりと究極の目標に注ぎ、この二つの誤りの間をまっしぐらに通りぬけねばなりません。私たちの両者に対する態度は、それ以外にはないのです。
『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、479-480頁
2019年12月8日(日)
究極の目標が見えていないと、誤りの中をまっしぐらに通りぬけることができません。
「信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。何を食べてもよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜だけを食べているのです。食べる人は、食べない人を軽蔑してはならないし、また、食べない人は、食べる人を裁いてはなりません。神はこのような人をも受け入れられたからです。」(ローマ14・1-3)