神は、この宇宙の時の流れのなかを悠然と進みたまいます。ちょうど作者が自作の物語の想像上の時のうちをゆっくり進んで行くように。
神は私たちのそれぞれに対して、無限の関心をそそぐ余裕をもっていらっしゃいます。
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時というものを、私たちがそれにそって旅を続けなければならない直線として思い描くならば、神は言ってみればその直線が描かれているページのようなものです。私たちのその直線の各部分に次々に遭遇します。つまり、B点に到着するまえにA点を後にしていなければならないし、B点を後にするまではC点に到着できないのです。しかし神は時という直線全体を上方から、外側から、あるいはまわりじゅうから包容し、そのすべてを見ていらっしゃいます。『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、438-439頁
2019年11月9日(土)
直線的な時間の流れのなかにしか生きることのできない私たちからは想像もできないことですが、時間を創造された神さまは、時間を超越して存在しておられます。ですから私たちの「時という直線全体を上方から、外側から、あるいはまわりじゅうから、そのすべてを包容し、そのすべてを見て」いてくださいます。
ですから神さまは私たちを集団として接してくださるのではなく、つねに個人として一対一でお付き合いくださることが可能です。それでいてすべての人に向き合うことができるのです。
「ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。」(第1コリント15・5-6)