私は死者のために祈ります

もちろん、私は死者のために祈ります。そうした祈りはきわめて自然のものです。いえ、祈らずにはいられないという言回しの方がいいくらいです。
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プロテスタントの伝統的な見解によると、死者はすべて救われているか、滅んでいるか、どっちかです。滅んでいるとしたら、彼らのためにとりなしても無益です。救われているとしても、そうした祈りは無用でしょう。神はすでに、その人たちのために可能なすべてをして下さっているのです。私たちとしてはそれ以上、何を求めるべきだというのでしょう。

しかし生きている人々についてにしろ、神は彼らのためにすでにすべてをして下さっている―いまなお手を尽くして下さっている―私たちはそう信じているのではないでしょうか? それ以上何を求めるべきだと言うのでしょう? しかし私たちは彼らのためになお祈りを求めよと教えられています。
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彼らのために祈るのは、進歩と困難が今後もありうるということを前提としています。つまり、死者のための祈りは、煉獄のようなものを想定していることになります。」

そう、どうやら私はそうしたものを想定しているようです。失敗の可能性こそないが、熱意や努力を発揮する余地があり(恋人たちも知っているように、喜びにはそれ特有の厳しさ、険しい登攀の苦労があるのです)、不断に甘美な自己放棄によって到達される至福がなおいっそう増し加わるといったことは、天国についても想定できるのではないでしょうか。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、428-429頁

2019年11月2日(土)

煉獄についてカトリック教会のカテキズム(要約)は以下のように語ります。

210 煉獄とは何ですか。

 煉獄とは、神との親しさの中に死ぬ一方で、永遠の救いは確実であるものの、天の至福に入るために、まだ清めを必要とする人々の状態です。

211 私たちはどのようにして煉獄の霊魂の清めを助けることができますか。

 まだ地上の旅路を歩んでいるキリスト信者は、聖との交わりの力により、煉獄の霊魂のために祈りをささげること、とくに聖体のいけにえをささげることによって、また施し、免償、償いのわざをささげることによって、彼らを助けることができます。

ルイスは保守的な信仰に回心したキリスト者であるということでしょう。煉獄を信じていたようです。それが死者への祈りをささげる根拠のようなことだったということでしょう。

「兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。」(第一テサロニケ4・13)