現実的なものは尖った、ごつごつした形をしており、複雑で、互いに異なっています。
何もかも主義が私たち現代人の性分にぴったり合っているように感じられるのは、それが全体主義的、大量生産的な、徴兵制度が実施されている時代のごく自然な哲学だからです。それだからこそ私たちはそれに対して、たえず警戒していなければならないのです。『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、397-399頁
2019年10月12日(土)
昨日の朝日新聞に平野啓一郎さんがマルティア・センから「個人のアイデンティティーを一つに特定することが一番悪い」と言っておられる記事がありました。レッテルを貼るといいますか、カテゴリーに分類するといいますか、そうすることでどこか分かったような気になるのですが、本当は余計に分からなくなっている、理解の道を閉ざしているということでしょう。現実は複雑なのです。
ですから○○主義とか、○○派という言葉が使われる時には、少し注意しなければならないのだと思います。
神さまは私たちを、そして世界を愛で一つになるようにと願っておられるのだと思いますが、それは均一になるということではありません。多くの石垣を築いた穴太衆の穴太積みは、異なる形の石が組み合わさって強固な石垣ができているといいます。家庭も地域社会もさまざまなグループも、そしてなにより世界も、互いに違う者が愛で一つになるような方向を目指していくのがいいなと思います。
「というのは、わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。」(ローマ12・4-5)
「体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。」(第1コリント12・12)