創発的進化

多くの人が創発的進化に魅力を感ずるのは、一つにはそれが神の存在を信ずることによってもたらされる情緒的慰めを多分に与えながら、そうした信仰から生ずる、あまり楽しいとは言えぬ結果をおよぼさないからです。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、396-397頁

2019年10月11日(金)

この個所は、『キリスト教の精髄』のなかの、「1 宇宙の意味を解明する鍵としての正と不正』の「4 法則の背後にあるもの」からですが、本文ではなく注からの引用となっています。

本文では「唯物論的見解」と「宗教的見解」の二つについて論じられているのですが、その二つだけが論じられているのは「放送の時には時間の関係で」と書かれています。それで文章にされる段階ではこの二つ以外の見解について論じる必要があり、それを「注」という形で記しているのでしょう。この二つ以外の見解とは「創発的進化」(あるいは創造的進化、生命力の哲学)のことです。

神さまはすべてのものを創造されたお方であるとともに、いまも生きて働いておられるお方です。その神さまが私とともにいてくださるのです。この神さまは人格をお持ちで聖いお方です。人格をお持ちの神さまを信じるということは、信頼すること、愛することであり、したがってこの神さまの喜ばれる道を選択しようと、私たちを導きます。そのような私たちを神さまは常に支え励ましていてくださいます。しかし同時に私たちが罪に歩もうとするときに、私たちに悔改めを迫られるお方でもあります。

それに対してこの「創発的進化」は、唯物論的見解のように、神さまの存在を全否定することはありませんが、宗教的見解のように、人格をお持ちのお方としてつねにともにいて支えたり励ましたり、ときに叱責したりといったことはありません。大変都合のよい神です。ルイスは「飼いならされた神」のようなものだ、といいます。これは聖書の語る偶像礼拝に非常に近いものであるといえるのかもしれません。

「玉座に座っておられ、世々限りなく生きておられる方に、これらの生き物が、栄光と誉れをたたえて感謝をささげると、」(黙示録4・9)