創造とは<無から何かをつくりだす>ことだと一般に定義されています。けれども私自身は創造を、<それ以前に存在していた、いかなる素材からでもない>という意味に取っているのです。しかしそれが、神が御自身考えてもおられなかったものをつくりだしたもうたという意味であるわけはありませんし、神が御自身所有しておられぬ力とか美を被造物に与えたもうたということでもないはずです。
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この創造の行為は、神ならぬ人間には考えもおよばぬものであるに違いありません。
『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、353-354頁
2019年9月8日(日)
上記の個所の竹野訳は以下の通りです。
創造することが「無から作り出すこと」として定義されているのは承知しています。しかし、わたしはそれを「あらかじめ存在しているいかなる材料からでもない」という意味に取ります。それは、神ご自身が考えておられぬものを創造なさるとか、あるいは神ご自身が所有されぬもろもろの力や美を被造物に与えられるとかいうことでは毛頭ありません。
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神がなされるような創造というこの行為は、常に、人間にとって全く想像だにできぬものであり続けるに相違ありません。
(『神と人間との対話』、ルイス著作集7、新教出版社、1977年、119~120頁)
神さまが創造者であるということは、この世界の始まりにおいて、まったく何もない所からすべてのものを神さまが創造されたということです。しかしそれは最初において創造者としてすべてのものをお造りになられ、その後は、ただ黙って眺めておられるというのではありません。神さまはいまも常に創造者であり続けるお方です。ですからいまも私たちが想像もできないことを、創造して下さいます。人間の知恵や力によっては脱出の道が見つからない試練の中にあっても、創造者を信じる者は、脱出の道を創造して下さるかたを信じているのです。
「だから、神の御心によって苦しみを受ける人は、善い行いをし続けて、真実であられる創造主に自分の魂をゆだねなさい。」(第1ペトロ4・19)