人を心から愛することからしてむずかしい人間に、地上の愛を超える愛の義務を強いることは危険です。人間を心から愛せないということについて、これは神をより多く愛するようになっているからだと思いあがっている(理由はほかにあるのに)人が世の中にはかなりたくさんいるのではないでしょうか。
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作家のモーリヤック氏は、「自分以上に親兄弟を愛する者は天国にふさわしくない」という謎のようなイエスの言葉に困惑しているほかの弟子たちをよそに、わが意を得たとばかりにうなずいているユダの姿を見事に描き出しています。『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、266頁
2019年7月6日(土)
父や母、兄弟、息子や娘を愛することは、肉親ですから簡単なように思えますが、実際は難しいものです。日々世界のどこかで起こる殺人事件のおおくは、家族間に起こっています。ですから神さまを愛することは、家族を愛することよりも優先することである、いや優先するだけではなく、むしろ家族を憎むことである、といわれると、家族を愛することができないことを正当化する者も出てくるでしょう。
「ユダはキリストによってひっくり返された世界を想像する。そこでは、あげられた者が、選ばれた者が、人間的な感情によって掣肘(せいちゅう)されることがなく、血のつながりがもはや彼らをしばることがない。力の勝利、勝ち誇る孤独!・・・ユダは師の言葉を自分のほうにひきつける。」(モーリヤック、『イエスの生涯』、新潮文庫、77頁)
神さまを愛することと、隣人を愛することが一つとなるように、私たちは招かれているのです。
「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。」(マタイ10・37)