赦される側によって受けいれられてはじめて実現します

悪を大目に見るということはそれに目をつむり、あたかもしれが善であるかのように取扱うことです。しかし赦しは赦す側によって提供されるだけでなく、赦される側によって受けいれられてはじめて実現します。みずからの罪を認めない人間は、赦しを受けいれることができないのです・・・

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、222-223頁

2019年6月6日(木)

神さまの愛は一方的な愛であり、私たちの功績に対して支払われるものではありません。私たちが愛したから、そのご褒美として愛して下さるということではありません。神さまは無限の愛で私たちを愛し続けていてくださいます。私たちがどのような罪の中にあろうとも神さまは赦して下さるのです。
ただその神さまの愛、神さまの赦しを受けいれるかどうかは、私の決断に委ねられています。神さまの赦しの言葉を拒むならば、いつまでも地獄のような中に生きることとなり、滅びる人生に生きることとなります。まさに地獄に行くこととなるのです。
しかし赦しを受けいれる、ただ信じてその赦しを自分のものとする、そうして赦しに生きる者へと造りかえられます。天国に生きる者となり、永遠のいのちに生きる者となるのです。

「『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」と言われた。」(マタイ9・5-6)