しかし恐れを掻きたてるというのは

再臨の教義を知ることによって一生のあらゆる日、あらゆる瞬間にあのジョン・ダンの「これがこの世界の最後の夜であったなら、何としよう?」という問いがあてはまることを悟るのでなかったら、それは私たちに関するかぎり、本来の意味を失ってしまうでしょう。
私たちの心のうちに恐れを掻きたてるという目的で、そうした問いが突きつけられることがあります。しかし恐れを掻きたてるというのは、そうした問いの正しい用い方とは言えないと私は思うのです。
・・・
恐怖も一つの感情です。およそ、感情を長いこと持続させることは不可能です。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、190-1頁

2019年5月13日(月)

恐怖で待ち望む心を形づくるということは、おおよそ聖書的ではありません。
待ち望む心を形づくるのは、愛と喜び、希望、ではないかと思います。

「更にまた、どのように御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを。この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです。」(第1テサロニケ1・10)