ある意味では物質的宇宙は、私たちのうちに畏怖の思いを起こさせるその力を、じつのところ、私たち人間自身から引き出しているのです。
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つまりアンドロメダ大星雲は、人間という微小な存在にその偉大さを負うているわけです。『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、59f頁
2019年2月8日(金)
大きな建造物をみて、畏怖の思いがおこるとすれば、それは大きな建造物自体に力があるのではなく、それをみて畏怖の思いを起こす人間の心に原因があるということでしょう。どんなに大きなものがあったとしても、それ自体にはなんの力もないのということです。
神々を見てその大きさが人間を圧倒しているとすれば、それは神々そのものに力があるのではなく、人間がそのように感じているだけなのです。ですから神々にはどこまでもその大きさが求められて生きます。
しかし聖書の神は、人間に頼ることなく偉大な存在です。その偉大さを明らかにするために、もっとも小さな存在になられました。私たちはこの小さな存在となられた御子イエスさまのうちにまことの神さまの神秘を発見します。
御子イエスさまは、十字架と復活をもって、すべての罪を赦し、死が終わりではないことを明らかにしてくださいました。滅びるものでしかなかった人間に永遠のいのちへの道を開かれました。
死は最大の恐怖であり絶対的な存在でした。しかし死も絶対的な存在ではなくなりました。相対化されたのです。神さまを知らない人間は死を前にして圧倒されます。しかしイエスさまを信じる時、死の絶対的な影から解放されるのです。