私たちを困惑させるくらい大きい

人間にとって住み心地のよい、こじんまりした宇宙は、人間に崇高の感を与えないでしょう。私たちが霊的な手足を伸ばすに十分なほど、宇宙が大きいとしたら、それは必然的に、私たちを困惑させるくらい大きいということになるでしょう。想像しうる何らかの世界のなかで、人間が窮屈を感じるか、畏怖を覚えるか、どっちかということであれば、私自身は後者を選びます。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、60f頁

2019年2月9日(土)

人間が健やかな人間として人間を生きるためには、自分を創造した絶対者に出会う必要があります。絶対者に出会ってはじめて人間は自分を知ることができるのです。
絶対者とは神ご自身のことです。この神さまに出会うために、神さまはさまざまな被造物を造って下さいました。この被造物に出会うことによって、畏怖を覚えることを学び、そうして神さまに出会う道が整えられます。
被造物は、私の頭の中に入り込むほどに小さなものであるならば、畏怖を覚えることが難しいです。しかしすべての被造物は、私の頭には大きすぎて、私の頭の中に入ることができません。また被造物とはそういうものであるといことを知って初めて被造物を知ることができます。おおよそ高慢な科学者は科学者ではないのです。

「神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。」(ローマ1・20)