真の問題は、地球が空間的に取るに足らない存在であることが数世紀もまえから知られていたのに、なぜ、十九世紀にいたって突如キリスト教に対する反論として用いられるようになったかということです。
『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、54f頁
2019年2月5日(火)
人間は神さまによって造られました。神さまがその御心の中に愛をもって人間を創造されました。ですから人間は神さまのもとに帰らない限り、真に生きることができません。ひとたび神さまのもとに帰るならば、真実な人生に行きはじめることができます。
しかし罪びとである人間は、神さまのもとに帰ることを知りません。また神さまのもとに帰ることが、むしろ自分を真に生かすことにならないと考えてしまっています。聖霊なる神さまのお働きのなかにしか神さまのもとに帰ることができないのです。
神さまはこの罪びとである人間を、もういちど神さまの御手の中に生きるようにと招いておられます。またそのことを熱い愛をもって望んでおられます。
人間は罪びとであると同時に、神さまにとってかけがえのない愛するものなのです。
聖書はこのように語ります。
この聖書の語ることに対して科学が、人間は単なる物質である、と語ってしまっているとすればどうでしょうか。科学自体は大切なものです。しかし科学が人間の価値を低くしてしまっている、さらには創造世界を価値のないものとしてしまっているとすれば、どうでしょうか。まるで人間が自分の立っている土台を、みずからの知恵や力で破壊しているようなことではないでしょうか。
「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」(創世記1・31)
「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。」(ヘブル11・3)