選びを受けなかった人々のために選ばれた

いわゆる<選民>は、彼ら自身のために選ばれたのでなく(少なくとも彼ら自身の名誉のため、喜びのためではなく)、選びを受けなかった人々のために選ばれたのでした。アブラハムは、「(選民である)あなたの子孫において、地のすべての民は祝福される」という神のお告げを聞きました。ヘブル民族は、たいへんな重荷を負うために選ばれたのです。彼らの苦しみははなはだしいものでしたが、預言者イザヤが気づいたように、その傷は他の人々を癒すためでした。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、51f頁

2019年2月2日(土)

選民、すなわち神さまに選ばれた民。その選びの理由は彼らが優れていたからでも、また逆に劣っていたからでもなく(もしかするとそれはあるかもしれませんが)、他の人々のため、他の人々を祝福したりいやしたりするためであった、とルイスは語ります。
選民意識は、時に高慢を生み出します。しかしそれは選びの理由を自分たちの中に求めてしまっているからでしょう。
選ばれたのが他の人々のためであるということであれば、自分自身の中には何の誇りとすることもなく、また選ばれたということの中に安住することもなく、ただひたすら他者の祝福のために生きる、また祈る者となるように招かれたということです。

「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」(ヨハネ15・16,17)