私たちの意にかなうのは、何でも私たちがたまたまやりたいと考えていることについて「本人が満足しているなら、それでよかろう」と言ってくださる神なのです。私たちは実際のところ、天にいます父なる神でなく、祖父なる神を欲しているわけです。・・・けれども実際にはそんな宇宙に住んでいるわけではないということを示す証拠がかなりたくさんある一方、それにもかかわらず、神は愛そのものでありたもうということを信ずる理由が十分ありますので、自分のもっている愛の概念を訂正する必要があるという結論に達するのです。
『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、25f頁
2019年1月10日(木)
「神は愛である」と聖書は語ります。しかしその愛とはいったい何であるのか。
聖書の語る神さまの愛は、私たちの罪を解決する愛です。見過ごしにする愛ではありません。しかしその見過ごしにせず解決しようとする愛は、私たちの罪の罰をご自身で受け止めようとされる愛です。十字架の愛です。
またいぜん罪を犯し続ける私たちをあきらめることなく、世の終わりまで私たちとともにいると約束してくださる愛です。
神さまの愛はまことに激しい愛です。私たちの思い描く愛の概念を修正しなければなりません。