限りない歓喜が約束されているのに

願望を満たすものをもとめてそれを楽しむのはわるいことだという思いが多くの現代人の心のうちに忍びこんでいるとすれば、それはカントとストア派の影響であって、キリスト教の信仰には関係がないのではないでしょうか。・・・私たちは万事に中途半端です。限りない歓喜が約束されているのに、酒や、性や、野心に酔いしれて、浮れまわっているのですから。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、23f頁

2019年1月9日(水)

願望や欲望ではなく希望に生きるようにと聖書は私たちを招いています。しかし禁欲そのものが信仰の目的であるかのようには語っていません。禁欲が語られているとすれば、それは限りない喜びに生きるためです。限りない喜びが与えられているのに、酒や性や野心に、そして願望や欲望に酔いしれて浮れまわっているいるとすれば、残念です。
この世の欲望も、神さまが与えてくださる限りない歓喜が約束されているのですから、その欲望に足をすくわれることなく、また逆に毛嫌いすることなく、健やかに楽しむことができるのです。