歓喜(ジョイ)こそ、天国の関心事

本来的に天国の状態に属する資質は、この現世では軽薄と見なされているような活動を通じてしか、ここに入ること、ここにイメージを投影することができません。というのは、祝福されている人々の生活は、生きること自体が目的であるようなものであろうからです。いえ、それこそ唯一の目的です。・・・地上では、すべてがさかさまになっているのです。ここでは少し長びけば、ずる休みとしか見なされないもの、それは、よりよい国ではまさに、目的中の目的であろうと思われます。歓喜(ジョイ)こそ、天国の関心事なのですから。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、18f頁

2019年1月4日(金)

地上と天国ではすべてがさかさまになっているといいます。地上では軽薄、取るに足りないものと見なされることこそ、天国での関心事であるといいます。歓喜(ジョイ)があるかないかこそ大切なことであって、成果や報酬、効率といったことは、一番大切なことではないのです。