あなたはイエス・キリストの名を、み子の名として啓示してくださいました。み子はわれらをあなたの子らとしてみもとへ導いてくださるのです。・・・悲しみにおいてもみ名が崇められますように。
C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、165f頁
〔ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」〕(使徒4・12)
2018年7月23日(月)
イエスとは、旧約聖書ではヨシュアと発音される名で、ユダヤの家庭では、多くつけられる名だといわれます。ごくありふれた名ということです。キリストというのは、油注がれた者、という意味で、救世主をあらわします。ごくありふれた名を持った救世主ということでしょう。新興宗教の中には、あっと驚くような特別な名をつけた教祖さんがおられますが、キリスト教は全くそれとは異質な信仰を語ります。まさにまことの人となられたまことの神こそイエス・キリストなのです。
この名が崇められることと、苦しみや悲しみのおいても神をたたえて生きることとは、深くかかわっています。御利益主義や現世利益主義には、苦しみや悲しみの中でも神をたたえる道は存在しません。聖書の語る信仰は、苦しみや悲しみの中にあっても神をたたえて生きる道がまっすぐに開かれています。