のぞみをもって、さきがけるのです

あなたはわれらに大いなる使命を与えてくださいました。それはどのような禍いの中にあっても、信仰によってこの時代と世界にさきがけるという使命です。あなたがわれらを善き目あてに導いてくださる、ご自分の子として自由にしてくださる、そして全人類の中に、新しい霊が、新しい生命が、時と永遠にわたってあなたに仕える新しい力がもたらされるようにしてくださるとののぞみをもって、さきがけるのです。

C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、153頁

〔被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。〕(ローマ8・22,23)

2018年7月5日(木)

どのような禍いの中にあっても、希望をもっている、その希望をもって「さきがける」のだ、といいます。さきがけるということは、先駆ける、先駈ける、魁ける、と書きます。つまり先に駆けている、他に先立って進む、他よりも先に物事をなすということです。

だれかが希望の光を照らしてくださったので、その光に追随して自分も光を掲げていく、というのではなく、だれも光を照らさず、ただ暗やみがあるだけの中にあって、キリスト者は、ただひとり光を照らし始めるのです。