いっさいの善にのぞみを持つ

そしてわれらがイエスのうちにわれらの主を見、イエスを信じ、イエス・キリストの苦難と甦りの結実としてなお訪れる、いっさいの善にのぞみを持つことがゆるされますように。

C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、113f頁

〔永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。〕(ヨハネ17・3)

2018年5月16日(水)

聖書は、イエスさまを信じる者には「永遠のいのち」が与えられると書かれています。イエスさまを信じる者は、死が終わりではないことを信じています。それは死が絶対者ではないということであり、死を偶像化する一切のことから自由にされているということです。たとえば苦しみの中で、その解決として死を選ぶということが人間にはありますが、死は絶対者ではないので、苦しみの解決としては死は役に立ちません。

さてこのヨハネのことばは、その永遠のいのちとは三位一体の神さまを知ることであると語っています。それは神さまを知ることによって、永遠のいのちをいただくことができるとも読むことができますが、神さまを知ることそのものが永遠のいのちということばの意味するところである、とも読むことができます。

永遠のいのちとは死んでも終わりのないいのちということを語っているのではなく、イエスさまを知って生きる人生そのものが永遠のいのちであり、イエスさまと共に生きている今この瞬間が永遠のいのちである、と語っているようにもとれます。

そうしますと、永遠のいのちとは死んだ後の喜びを語っているのではなく、今生きていることの喜びを語っていることになります。永遠のいのちに生かされているならば、今この時に、永遠のいのちに生きる喜びがあるのです。