あなたは愛をわれらに与え、われら人間が正義と善とにいよいよ近づくことを得させてくださいます

あなたは愛をわれらに与え、われら人間が正義と善とにいよいよ近づくことを得させてくださいます。聖なる霊をいかなるところにも満たし、不都合が克服され、人間の知恵をもってしても、あなたの義が何であるかを認識しうるようにしてください。

C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、27頁

〔わたしは隠れた所、やみの地にある場所では語らなかった。ヤコブの子らに『むなしくわたしを尋ね求めよ。』とも言わなかった。わたしは主、正義を語り、公正を告げる者。〕(イザヤ書45・19)

罪と滅びの中にしか生きることのできない人間が、正義と善とに近づくためには、愛が必要です。神さまの愛が必要です。神さまから与えられる愛が必要です。人間の愛ではなく、神さまの愛が必要です。人間の愛は歪んでいて人間を滅ぼしてしまいかねない愛ですが、まことの愛である神さまからの愛は人間を生かす愛です。その愛が必要です。その愛をいただくことによって、人間は正義と善とに近づくのです。

神さまの義が一体なんであるのかを人間は知りません。知り得ません。その神さまの義を知ることのない人間がどのようにしてそれを知るのか。それはただ神さまの一方的なご愛によります。それはご聖霊さまによります。聖霊さまは単なる霊的な力ではありません。愛そのものであり、神ご自身なのです。聖書の神さまを理解するためには、三位一体の神さまを知らなくては理解できません。あるいは三位一体の神さまを理解しなければ、神さまを理解したことになりません。

そもそも神さまを人間の小さな頭で理解することはできないのではないかと思います。ですから理解するというよりも、信じること、愛することが神さまに向き合うために大切なことなのだと思います。もし理解できたとするならばそれはすでに偶像ではないかと思います。