われらは弱く、貧しく、われらの霊は何をすることもできません。疲れ果てているのです。しかしあなたはわれらを強め、いっさいを正しくしてくださいます。そして全世界の中にみ国が明らかなものとなるようにしてくださるのです。
C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、20f頁
〔愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。〕(1コリント13・4)
ねたみ、自慢、高慢から自由になり、寛容と親切に生きるようにと、主イエスさまは招いていてくださいます。私たちにはそのような生きる力はありません。しかし主はその力をお持ちです。そして私たちにそのように生きることができるようにと導いてくださるのです。
私たちがねたみ、自慢、高慢から自由になり、寛容と親切に生きることによって、この世界にみ国が前進します。み国が明らかなものとなります。み国が明らかなものとなるかどうかは私たち一人ひとりの心がどうあるかにかかっているのです。
み国の前進のために、社会福祉が前進しても、ねたみによって行なわれることがあります。平和実現運動の中にも、自慢や高慢が渦巻いているかのしれません。そうであれば、主イエスさまが教えてくださったみ国が前進しているとは言えません。
み国の前進とは私たち一人ひとりの心のあり方が問われていることなのです。