ほんとうの信仰、ほんとうの誠実、魂のほんとうの力をもって救い主のかたわらに立ち、いっさいから自分を解放し、あなたのみ手にゆだねるよろこびを味わわせてください。
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地上においても天におけるごとく、み名に栄光が帰せられるようにとの、ひとつの大いなる関心事のゆえに、いかなるわれら自身の関心事も、どんなに小さなものに至るまでも、すべてみ手におゆだねいたします。
C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、19頁
〔あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。〕(詩篇55・22)
NHKFMでは月曜日から金曜日のあさ6時から「古楽の楽しみ」という番組を放送しています。今週は「祈りの音楽」、今朝は「安らぎの祈り」をテーマに選曲されていました。いくつもの「シメオンの参加」がラジオから流れています。
降誕されたイエスさまがヨセフとマリヤによって割礼を受けるために神殿に連れて行かれた時、祭司ではなくシメオンとアンナの二人が幼な子イエスさまを祝福しました。そのときにシメオンが歌ったのが「シメオンの賛歌」です。
「ヌンク・ディミティス(Nunc dimittis)」~「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり このしもべをやすらかにさらせてくださいます・・・」と歌われます。教会では終課、晩課、夕の祈りで歌われてきたそうです。
この「古楽の楽しみ」はすばらしい番組で、音楽はもとより解説者のことばもあわせて、聞くものの心を神さまに向かわせてくださいます。
さて私たちがこの地上で生きづらくなるのは、考えなくてもよいことに心を向けてしまうからです。考えなくてもよいこととは、自分が考えたくないことだけではなく、自分がそのとき考えたいことを含んでいます。考えなくてはならない大切な一つのこととは「地上においても天におけるごとく、み名に栄光が帰せられる」ことです。そのために「いっさいから自分を解放」します。そのためにいっさいのものを「み手にゆだね」ます。
「私はこのようにしたい」との願いの中には、自分を縛るものが含まれています。自分はもとより共に生きる人々と生きる平安な人生のためには、その「私はこのようにしたい」という願いとともに「神さまの栄光のために」「み手にゆだねる」という信仰を取り戻すことが必要です。
み手にゆだねるという信仰をもっていない人のことばは、どんなに素晴らしいことが語られていたとしても、どうも生きづらい状況をその人自身の中に、またその人を取り巻く世界に招くことになります。