ものを書く、深い井戸を開く

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ものを書く、深い井戸を開く
2016年4月28日(木)

すばらしい書き物の多くは、書くことそのものの中から生れて来るようです。
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ものを書くこの、最も満足を与えてくれる側面の一つは、他の人々の目に美しいものばかりでなく、私たちにとってもすばらしい宝物が隠された深い井戸を、私たちに開き示してくれることです。

ヘンリ J.M.ナウエン、『今日のパン、明日の糧―Bread for the Journey』
監修者・嶋本操、訳者・河田正雄、
聖公会出版、2001年11月22日第1刷発行、2015年1月17日改訂版第4刷発行、
160頁。

何かすばらしいことを思いついたのでそれを書き留めるということだけではなく、何も書くことが見つからないという状況の中にあって書こうとすること、具体的にはノートを開きペンを手にし書こうとすることによって、自分自身が気付いていなかったことに気づくことが出来るのです。それは深い井戸を掘りあてていくことのようです。そこから泉が湧き出るのです。

「私は、内容そのものよりも、むしろ文体に注意をひかれる」「なぜ私が話の筋とか内容とかをあまり問題にしないで、文章に興味を持つかというと、書いている「人間」を相手にするからです。単なる思想ではなくて、人間そのものを相手にするということです。文書というのはその人の顔のようなもので、そこにその人の全部が出るからです。」(森有正、『生きることと、考えること』、講談社現代新書、1970年11月16日発行、166頁f)

少し話しが飛躍するかもしれませんが、情報としての内容ではなく、文体や文章そのものに出会うことによって、その人に出会う、ということは、書きたい内容ではなく、書くことそのものによって自分自身に出会うということでもあると思いました。

絵を見て、そこに書かれている情報としての内容やテーマではなく、絵の具の色やマチエール、筆遣い、勢い、などなどによって、作家に出会うということです。また自分自身に出会うということでしょう。

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