「『愛は友の為めに死するより大なるものはなし。』或は一人を友とする者あり。或は一家を友とする有り。一国を以て友とする者あり。天下を以て友とする者あり。又天上天下を合せて之が友たる者あり。人善く友の為めに己を失へば、誠に是の快気を得む。友の為めに死するは愛の大なる者にして是の快気を以て酬いられる。」
新井奥邃、『聖言』、144
「『友の為に自分の命を捨てることよりも大きな愛はない。』あるいは一人の友を持っている者がいる。あるいは一家族を友とする者がいる。一国を友とする者がいる。またこの世界のすべてを合せてこれが友であるという者がいる。人は善をもって友の為に自分を失うならば、まことにこれの快気をえる。友の為に死ぬのは大きな愛をもっている者であり、これの快気をもって報いられる。」
友人のために、あるいはさまざまなもののために自分自身を捨てるならば、かえって健やかな人生が与えられるのです。それ自体が、自分自身を捨てることの報酬です。命を捨てず中途半端であるならば、それだけの人生となり、この報酬を手にすることはありません。
いのちを捨てる、というととても大変なことのように思いますが、我欲ではなくそれぞれなりに心を尽くすことではないかと思います。そうであれば、必ず豊かな人生を得ることができるのです。
〔聖書の個所〕
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。
(マタイ15章12~13節)
キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。
(第1ヨハネ3章16節)
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