「火を慎しむ者は火を守る。火を守る者は火に由りて生く。生命の愛は火なり。是れ弱信と雖も亦之を認めむ。然れども只之を認めて之を其身に得ずんば益する所なし。之を得るに道あり。心身の用を慎むに在り。能く守りて其用を慎めば、則ち霊火の中に百錬せらる。茲に以て長へに火徳を体すべきなり。」
新井奥邃、『聖言』、139
「火を度を越さないように控え目にする者は、火を守る。火を守る者は、火によって生きる。いのちの愛は火である。これはどんなに弱い信仰であっても、このことを認める。しかしただこれを認めたとしても、これをその身に体得しないならば、役に立つことはない。これを体得する道がある。それは心身の働きを度を越さないで控え目にすることにある。このことを能く守ってその働きを慎むならば、即座に霊の火の中に金属が幾たびも練られてその純度が高められていくように鍛錬されるであろう。今から生涯にわたって火の徳を体得すべきである。」
「火」が何を意味するのか、なかなか難しいのですが、燃えるような信仰のことと理解したいと思います。三位一体においてご自身を現わされたまことの神さまが、ご聖霊さまによって私たちと共におられようとなさったのは、まさにこの火のように燃えるような信仰に生きることを人間に期待されたということでしょう。
火は、生き生きとした力強いものですが、しっかりとコントロールされなければならないものでもあります。心と身体は一つですので、心にある火をコントロールするためには、身体をコントロールすることが有効でしょう。ある意味での肉体の修行も、鍛錬のためには必要なのでしょう。規則正しい生活、肉体の鍛錬、食事、睡眠、金銭の管理などなど。そういう日々の生活が整えられていないならば、どうして心が整えられることがあるでしょうか。
愛は時に暴走を許しますが、それを身体をコントロールしないことの言い訳にしてはいけません。しっかりとコントロールされた、それでいて燃えるような愛に生きる者でありたいと思います。
〔聖書の個所〕
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
(第1コリント13章4~7節)
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