「天路の生道は一粒一滴の道ならざるはなし。天下に達し人々一粒一滴にして優なり。一粒を得ざれば斯に饑ゆ。一滴を過ぐれば則ち潰る。世人の多数は其の未だ一粒を咬み得るの力なきに、飽食を他に求む。是を以て禍なり。」
新井奥邃、『聖言』、101
「天国へむかう生き生きとした道は、一粒、また一滴の道によってなされないことはない。世界に達する人々は、一粒、一滴を大切にしている。一粒を得ることができないならば、そこに飢きんが生まれる。一滴を見過ごしてしまうならば、それはつぶれてしまう。この世の人びとの多くは、その一粒を咬み砕いて取得する力を未だ持っていないので、満たすことを他のものごとに求めようとする。これこそわざわいである。」
天国とは死んだ後に行くところであるとともに、聖書は神さまが支配するところはすべて天国であるとも語ります。今生きているところがたとえ地獄のように思えるところであっても、神さまの支配を発見するならばたちどころに天国となります。
天の御国はからし種のようなものである、とキリストは言われました。からし種とはこの世界で最も小さな種であるという意味です。日本人流にいえば芥子粒という感じでしょうか。しかしそんなに小さなものであっても、大樹となり鳥が住み着くほどのものに成長すると言われました。
一粒、一滴を、つまり小さなものを大切にしていくならば、そこに秘められた神さまの大きな、そして確かな御手を発見することができます。大切なことは多くの物を手にすることではなく、僅かであってもそれを掘り下げて、大切に味わい学ぶということでしょう。
〔聖書の個所〕
イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」
(マタイ13章31~32節)
小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。
(ルカ16章10節)
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