「嗚呼天上天下勢の盛なる者、美に如くはなし。善と雖も若し美と離るれば力なし。美は火の如し。然り火なり。毒悪を消散する者は美の力なり。其の形状を溶化するは美の功なり。既に之れを消滅し、而して更に之れを新築するは美の能なり。美は真人なり。人の人なり。即ち生命自体なり。其の肖像を之れ小子と為す。」
新井奥邃、『聖言』、90
「ああ天上においても天下においても勢いが盛んであるからといって、美と同じではない。善といえども、もし美と離れるならば力はない。美は火のようなものである。いや火そのものである。毒や悪を消し去ろうとする者、それは美の力である。その形を溶かすのは美の効果である。すでにこれを消し去り、しかしてさらに新しく作り上げていくのは美の能力である。美はまことの人である。人の中の人である。すなわちいのちそのものである。その肖像、似姿を、子ども、弟子となす。」
この世界であっても、そののちの世界であっても、勢いが盛んであるということであっても、美にまさるものではありません。いくら良いことであっても、美しさがなければ、そこに力はありません。美しさというものは、毒や悪を消し去る力を持っています。
イエス・キリストこそまことの美です。このお方にすべての美があります。美こそいのちそのものです。この美そのものであるイエスさまの似姿を自分の身にいただいている者こそ、神の子、キリストの弟子ということができるでしょう。
私たちの生き方は美しいでしょうか。
〔聖書の個所〕
わが子よ。すぐれた知性と思慮とをよく見張り、これらを見失うな。それらは、あなたのたましいのいのちとなり、あなたの首の麗しさとなる。こうして、あなたは安らかに自分の道を歩み、あなたの足はつまずかない。
(箴言3章21~23節)
また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。
(マタイ6章7~8節)
百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、非常な恐れを感じ、「この方はまことに神の子であった。」と言った。
(マタイ27章54節)
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