「生命は美なり、美は広大、処を以て限られず、入りて自得せざるなし。図書に居て図書には拘はらず、此処を離れて亦此処に在り。或は墟墓に下りて原沢に出で、或は踰越して遠く異境に開く。生命の美なるや、人の謙る処に栄え、良心の起る処に飛躍す。」
新井奥邃、『聖言』、87
「いのちは美しい、美しさは、広く大きい、場所に縛られることなく、それに入るならば悟りを得ないということはない。書籍の中にいても書籍にこだわらない、そのところを離れて、またそのところにいる。あるいは荒れ果てて弔う人もないような墓に下って、広い野原や水の流れ落ちる沢に出現し、あるいはさらに乗り越えて遠く異なった世界に開かれていく。いのちの美しさは、人が謙遜するところに活発になり、善悪を判断し善に生きようとする心の豊かにあるところに勢いよく活動する。」
まことの生命、まことのいのちを持っているならば、人間は自由です。どこにいようとも、自由でいることができます。場所、境遇にしばられません。
まことのいのちにあふれるために、必要なことは謙遜です。また良心です。謙遜で良心にあふれているならば、いのちもあふれるのです。
高慢なとき、いのちは停滞しています。よどんで、にごります。たとえどんなに素晴らしい環境に置かれても、高慢は人を不自由な監獄の暗やみに突き落とします。
いのちにあふれる者でありたいと思います。ひたすら謙遜に、良心に生きたいと思います。
〔聖書の個所〕
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。
(ヨハネ4章14節)
私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
(第1コリント4章18節)
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