「言語は只声音の耳を過ぎて消ゆるものにあらず。言に跡なしと思はば大いに誤る。言語の品は不見度に於て生物に象る。」

執筆者:

カテゴリ:

「言語は只声音の耳を過ぎて消ゆるものにあらず。言に跡なしと思はば大いに誤る。言語の品は不見度に於て生物に象る。」

新井奥邃、『聖言』、84

「言語は、ただ声の音声が耳を過ぎていき消えてしまうものではない。言葉に痕跡はのこらないと思うとすれば大きな間違いを犯すことになる。言語の値打ちや善し悪しというものは、見えない度合いにおいて、生き物を象徴する。」

 ことばを大切にしなければなりません。吐いた唾を飲み込むことはできません。いったん語ったことは、それがその人の「人となり」を形作っていきます。口ではああは言っているけれども、心のなかは違うのですよ、などということはありません。一般的な大人の世界であるならば、語る言葉がその人のすべてを物語っています。そしてその語る言葉によって、その人の人格が築かれていきます。ですから素晴らしい人生を歩もうと願うならば、言葉に磨きをかけなければなりません。
 人をののしり、否定する言葉を語る人は、残念ながらそれだけの人生を歩むことになります。人間はすべて罪人なのですから、人をののしり否定しようとするならば、いくらでもできるのです。人の間違いや足りないところを指摘するのは、そうせざるを得ない自らの貧しさを露呈しているだけです。人の間違いや足りないところを指摘することで、自分の観察眼の鋭さを自慢しているとすれば滑稽です。そんなことは誰でもできるのです。
 誰もがたやすくできないこと。それは、人の良い点を見つけて、ほめ言葉を語ることです。否定的な言葉が出そうなときにも、積極的な言葉、暖かい言葉を語るのです。それは誰もができることではありません。しかし、そのように善い言葉を語る人は、善い人生を築くでしょう。言葉が人生を築くのです。
 ののしりや悪口を語る人の周りには、誰も寄り付こうと思いませんが、善い言葉を語る人の周りには、心優しい仲間が集まるでしょう。

〔聖書の個所〕

親切なことばは蜂蜜、たましいに甘く、骨を健やかにする。
(箴言16章24節)

あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。
(コロサイ4章6節)

自分は宗教に熱心であると思っても、自分の舌にくつわをかけず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。
(ヤコブ1章26節)

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA