「夫れ生命は知るべくして説くべからず。纔に之れを説けば真と違ふ。又生は感ずべくして知るべからず。之れを期するは私智なり。無我と反す。」
新井奥邃、『聖言』、75
「生命というものは知ろうとして説いてはならない。わずかであってもこれを知ろうとして説くならば真実と違う。また生は感じようとして知ろうとしてはならない。これを予期しているのは私の知識である。無我と反することである。」
生命。それはすべての生き物に与えられているものです。いったい生命とは何なのでしょうか。知識の一つとして知ろうとして解説を試みようとすると、真実から離れていくのです。化学物質のように試験管に入れて研究しようとしても、決して理解できるものではないのです。目に見えないものはみなそういうものです。
また生命は、私が感じるということで知ろうとしてはいけません。そのように自分の知識を増やそうとか、徳を積み上げようとしてはいけないのです。それは結局は無我ということに反することとなり、かたちの違った高慢を自らにもたらし、真実に生命に生きるということにならなくなってしまいます。
ひたすら無我に生きる道に学びたいと思います。幼子のように。神さまにすべてをゆだねつつ。
〔聖書の個所〕
まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。
(マルコ10章15~16節)
互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。
(ローマ12章16節)
だれも自分を欺いてはいけません。もしあなたがたの中で、自分は今の世の知者だと思う者がいたら、知者になるためには愚かになりなさい。なぜなら、この世の知恵は、神の御前では愚かだからです。こう書いてあります。「神は、知者どもを彼らの悪賢さの中で捕える。」
(第1コリント3章18~19節)
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