「夫れ真人真師の我等を愛して教訓し給ふこと、誠に周到至らざる所なし。然れども或は顕、或は微、或は巨に、或は細に、皆同じからざる如きは、其の地と時と、其の人と事とに従って分るるものにして、一定不変の規則なし。」

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「夫れ真人真師の我等を愛して教訓し給ふこと、誠に周到至らざる所なし。然れども或は顕、或は微、或は巨に、或は細に、皆同じからざる如きは、其の地と時と、其の人と事とに従って分るるものにして、一定不変の規則なし。」

新井奥邃、『聖言』、32

「まことの人でありまことの師であるイエスは私たちを愛して教え訓練してくださる。それはまことに行き届いていて足りないところがまったくない。しかし、ある人には顕著であるが、ある人には微細であり、またある人には大きく、ある人には小さく、みな同じではない。その場所と時と、その人自身と出来事にしたがって、違いが生まれる。定まった規則のようなものはない。」

 キリストは誰一人差別されず、愛し、訓練してくださいます。それは本当に素晴らしく何の落ち度もありません。しかし、訓練される側である人にはいろいろな違いがあります。すぐに悟る人、理解する人もいるし、そうでない人もいます。それには規則のようなものはありません。
 この違いを知ることは大切なことです。おおよそ人を育てるところでは、この違いが理解されていることが大切です。神さまはその人その人にあった方法と段階をもって、成長させてくださいます。

〔聖書の個所〕

彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。
(マタイ25章15節)

あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
(第1コリント12章27節)

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