〔自由な恵みの福音〕
2015年6月3日(水)
「神の自由な恵み」。恵みは「自由」であるがゆえに、恵みはその御業を私たち惨めな罪人(つみびと)たちに対し、私たちのあいだに行いたまい、恵みの言葉を私たちの愚かで邪悪な心の中にも、そしてかくも清らかではない唇にも置きたまう、それほどに恵みは力強いのです。
不貞を働き殺人を犯したダビデは恵みにとっては何ら障害ではなかったし、主を否定したペトロ、迫害者サウロも障害ではありませんでした。ですから神にとっては、あらゆる闇の場所の内で最も暗い場所だと幾度となく考えられもするであろう教会も、障害ではありません。
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最後に自動的にどの人をも包括し、誰もが達するような恵みは、たしかに自由ではなく、神の恵みではないからでしょう。しかし、私たちが恵みにそれを全く禁じることができるとしたなら、恵みは恵みでしょうか。
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恵みはそれが誰であろうと人間に「恵み」として到来して幸せにするだけでなく、何が決まって恵みの奉仕にも人間を取り込むということです。恵みは私たちを服従の決断へと呼びかけます。恵みは私たちに無為、中立、傍観を許しません。
カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、326f。
神さまの恵み、私たちに向けられている恵みは、力強い、のです。
この恵みには敵対するものがありません。この恵みにとってなんら障害となるものはありません。
もちろん、自動的に神さまの恵みが人びとに注がれているというならば、それは自動的にということですから、自由な神さまの恵みではありません。しかしかといって、人間の力によってその恵みを禁じることができるとしたら、それは神さまの力強い恵みではありません。
この恵みによって救いをいただいた者は、服従の決断の呼び声を聞きます。この恵みをいただいた者は、この世界において傍観者ではいられません。
イエスさまの喜ばれる道を選択します。
(祈り)
神さま、あなたの恵みの力強さを教えてください。そしてあなたの喜ばれる道を歩ませてください。
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