「では人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました」。 ローマの信徒への手紙2章9-11節

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〔信仰によるのみ〕
2015年4月27日(月)

持っている物はすべて受けた物でないものはないということを忘れる人。・・・「希望して」とは別に「誇る」何らかの動機をなお持つような人は、死ななければならないからです。
・・・
神の有罪判決と神の無罪判決にもよらずに、人間の義であることを止めなかった人間の義全ては、神の前でも人の前でも、現実の要素ではありません。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、243f。

神さまが義、つまり正しいお方であり、また神さまが義をなしてくださるお方、つまり正しいことをなしてくださるお方です。

今こうして私が生かされているのは、すべて神さまが与えていてくださるからです。

私の努力によって築いたかに見えるものも、それすらも神さまが備えてくださったからこそ在るのです。

それを忘れて、まるで自分が、神さま抜きで手に入れたように思うことは、滅びに向かう生き方です。

私は神さまの前に罪人です。有罪判決を受ける者です。しかしそのような私のために神さまは一方的な愛を注いてくださいました。十字架と復活の愛を注いてくださいました。そうして救ってくださったのです。無罪判決をいただいたのです。

ただ一方的な神さまの義をいただいたのです。それ以外のものはありません。

その真理に立たせていただけるとき、人間は真実に生きる者となります。

(祈り)

神さま、すべてはあなたから来たものです。ただ感謝をもって受けることができるように。自らを誇りとすることがないように助けてください。

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