大いなる告発

執筆者:

カテゴリ:

〔イエスのご受難の前にある人間〕
2015年4月3日(金)

受難の聖金曜日に人間は被告席に坐らされております。
・・・
あの山上で人びとは二千年前と同様なお今日も叫んでいます、こいつがおれたちを支配するのは欲しない! と。
・・・
公的生活にただ参加するだけではなく、むしろ潔白な良心をもって参加しようとするなら、その時、人はとりわけ、国家と社会において支配している権力に対して告発し、抗議し、叫ばざるをえません、事態が深刻であればあるほど、ますます鋭く。
・・・
人類の進歩を目標とするあらゆる努力と運動は、深くこの影のもとにあります。本気で貧しい人びとを助けようとする人は、豊かな人びとを激しく責めざるをえません。誠実に世のアルコール依存症を何とかしたいと憂える人は、私たちの社会道徳に対して抗議せざるをえません。本当に平和に賛成である人は、政府と支配層に対して反対せざるをえません。
・・・
真剣になる人は、深くこの影の下に立ちます。
・・・
人間は真剣になるならば、その人には罪が大きく重要になります。
・・・
聖金曜日、人びとが立てたキリストの十字架の下で、確かにこの証書は広げられ、読み上げられなければなりません、私たち人間はそうしたものである、と!

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、187ff。

ユダヤ人は、神さまの支配を受け入れず、キリストを十字架の上で殺すように叫びました。
異邦人は、引き渡されたキリストを十字架にかけて殺しました。
いずれも「お前の支配は受け入れない」という人間の自己中心の罪の心からでした。しかし自らの自己中心の罪によって神さまをさばいたかに見えたのですが、これによって自らの内にある罪が明らかになりました。人間がいかに自己中心であるかが明らかになったのです。人間が神さまをさばこうとしたのですが、逆に人間が神さまにさばかれたのです。あなたは罪びとである、と。

この自己中心の罪は、今も私たちの中に深く存在していますから、日々神さまのこのさばきの前に私たちは置かれています。また人間の社会は、今も深く自己中心の罪を含んでいますから、その社会に向かって、神さまのさばきの声は今も響いています。
私たちも社会もみな、今も被告席に座らされているのです。

神さまの国の実現を願い、神さまの国が今ここにきているというキリストの言葉を信じた者は、みなこの神さまのさばきの声が聞こえます。真剣に願い信じた者ほど、このさばきの声を聞きます。ですから、自分の罪、世の罪を見て、叫ばずにはおれなくなるのです。

(祈り)

神さま、十字架におかかりくださったイエスさまの愛の深さを教えてください。そうしてまで解決されなければならなかった私の、私たちの罪の深さを教えてください。

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA