「しかし、(ペトロは)強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、『主よ、助けてください』と叫んだ」。 マタイによる福音書14章30節

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  〔舟の上で〕
2015年2月6日(金)

不安は、なおキリスト者の人間的な、またキリスト教徒としての存在とありのままの有りようを包囲し、陰で覆い、問題化することで、沈み行くペトロがしたように、イエスに向かって叫ぶことを妨げることはできません。「主よ、私をお助けください!」―まだ不安の中にありながらも、子どもが暗くなった通りで、夕方帰宅途中の父に向かって走って行くのを、妨げることはできません。
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不安さえもおよぶ神の力強い支配・・・
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キリスト者は祈ることが許されているので、まだ不安の中にありながら、実際に自分の不安からの解消を先取りします。
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祈ることで、不安に対して必ずや自分自身に立ち帰る、すなわち、堅い基盤の上に、彼の召命が示した道に立ち帰ります。それをすでにパウル・ゲルハルトが述べています。「私が叫び祈る度に、一切は背後に退く」。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、90f。

祈りの道を、主は開いて下さいました。御名によって祈る道を。

不安は依然あります。しかし祈る時、一切は背後に退くのです。

(祈り)
神さま、感謝します。一切のことをあなたのみ前におゆだねします。

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