非宗教的な存在として出発

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むしろ、文明が発達し、広範囲に及ぶ社会や国家の集合体を統合することが必要になった段階で、複雑な構造をもち、超越的な存在の実在を強調する信仰が生み出されたものと考えた方が現実に即している。直立二足歩行による視野の拡大という出来事も、それだけでは高度な宗教を生み出す基盤とはならない。人類は、宗教的な存在として出発したのではなく、非宗教的な存在として出発し、しだいに宗教性を深めていった。そのように考えた方が、はるかに事実に近いように思われるのである。

島田裕巳、『教養としての世界宗教事件史』、河出書房新社、2010年10月30日発行、22ページf

人間だから宗教をもっている、人間だから目に見えない存在を信じるようになったということでしょうか。そうであるならば、科学万能の現代(そうともいえないことはさまざまな事象によって明らかになっているように思いますが)、「神さまや目に見えないものを信じているなどというのはナンセンスだ」というのは、それこそ人間ではないものの論であるということが言えるでしょう。宗教を持つことが、まるで愚か者、進化しきっていない古臭い蒙昧な者のなすことである、という考えは、文明の後退であるということでしょう。

神さまを信じることは、人間の深まりの中でなされていく、まことに人間としてふさわしいことなのです。

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