閉ざされた戸にもかかわらず

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〔復活〕

2014年4月10日(木)

(ヨハネ20章19~31節)

われわれは、奇妙なことにイエスの現臨を心から待ち望むときに限って、いつも、他のことがらへの恐怖から、イエスに対して戸を閉ざしてしまう。しかし、さらに不思議なことには、イエスがこの閉ざされた戸によって妨げられることは全くないのである。よみがえった方は、自分に属する者へ至る道を、人間によって阻まれることはない。
・・・
この「あなたがたに平安があるように」という挨拶は、まさに<みずから「平安」である方が、すなわち、十字架につけられ、よみがえったイエス・キリストが、あなたがたと共にいる>ということを意味するのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、178頁ff。

私がこの世の様々なものへの恐怖から心の戸を閉ざすことがあっても、イエスさまはその閉ざされた戸によって妨げられることなく、私のところに来てくださいます。そして世の終りまで共にいると語ってくださいます。
主の復活の出来事は、神が共にいるということを私に語り続けています。

(祈り)
神さま、どんなに固く閉ざされた心の扉の中にも、あなたは入って来てくださいます。あなたが共にいて下さることを感謝します。

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