最初の神学的議論

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〔誘惑〕

2014年3月11日(火)

「へびは女に言った、『あなたは死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです』。」(創世記3:4-5)

最初の会話は、神についての宗教的・神学的な会話であった。神に向かって共に祈ったり、神に向かって共に呼びかけたりするのではなく、神についての会話が、神のいないところでなされたのである。
・・・
創造者と蛇の違いは、創造者がこの木から食べることを「死」と定めたのに対し、蛇はそれに「神のようになる」という約束を結びつけたことにある。すなわち、蛇が約束したものは、創造者が「死」と呼んだものにほかならなかったのである。堕落によって、人間は確かに神のようになる。しかし、神のようになった人間というのものは、もはや生きることができず、死んでしまうのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、125頁f。

神さまのようになった人間、あるいはなろうとした人間は、もはや生きているとは言えない、死んでしまうのである、とボンヘッファーは語ります。
神のようになることは、人間にとって魅力的です。しかしそこには生き生きとした人生は開かれていきません。神さまのご愛の中に行こう所に生き生きとした人生が開かれていきます。
人間の限界をひとたび知らされた者は、神のようになることが魅力的どころか、恐ろしいことであることを知ります。人間は神のようになったら最後、自分も他者も滅ぼしてしまうのです。
人間はまことの人間として歩むところに生き生きとした人生が開かれていきます。まことに人間として生きる道をイエスさまは開いてくださいました。主イエスさまの十字架と復活を仰ぎ見るとき、私たちはまことの人間としての歩みを学びます。

(祈り)
神さま、まことの人間としての歩みを教えてください。

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