恵みとしての限界

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〔誘惑〕

2014年3月7日(金)

「しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう。」(創世記2:17)

「善悪を知る木」は、生命の木と同様に、園の中央に立っている。
・・・
人間の限界は、人間という存在の中央にある。周辺に限界があるとすれば、それは、人間の性質に関する限界、人間の技術に関する限界、人間の可能性に関する限界である。これに対して、中央に存在する限界は、人間の現実の限界、人間というものの存在の限界である。周辺の限界を認識する場合には、われわれは<この限界が、いずれ乗り越えられるのではないか>という思いにつきまとわれることになる。しかし、中央の限界を認識する場合には、われわれは<この限界は、人間という存在の全体を限界づけ、人間存在のあらゆる可能な行動を限界づけているのだ>と見て取るしかないのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、118頁ff。

限界があるのが人間です。人間であり続けるということは限界を持ち続けるということです。限界を超えようとするならば人間でなくなってしまいます。
限界を感謝します。限界があるからこそ人間としての自由をいただいていることを感謝したいと思います。

(祈り)
神さま、あなたから善悪を学び続けることができるように助けてください。

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